急性腎盂炎を患ったキジ白猫の最期の1週間
その前週までの様子はこちら↓
急性腎盂腎炎を患った我が家のキジトラ白猫が亡くなるまでの1週間の様子を振り返ってまとめました。
とても悲しく思い出すと涙が出ますが、家族を思いやって最期まで頑張ってくれた愛猫の思いを残すべく記録に残します。
体調の変化を日ごとに追うとこんな感じでした。
10/18
体調:元気
朝病院にて点滴。
ホタテ水を自分から飲み、新しいウエットフォードを差し出してみると少量ですが久々に自分から食べました。
日向ぼっこで気持ちよくすやすや。
トイレも自力で行って帰ってきました。
ごはんは量を食べないので、無理やり口をあけさせてウエットフード中心に猫のほっぺたに貼り付けて食べさせました。
脚がふらふらで歩くのさえ大変なはずなのに、いつのまにか床に寝ていたはずの猫が自力でベッドの上のかまくらに入っているという奇跡を起こしました。
一体どうやって上ったのか・・・ビデオを設置していなかったので確認できず。
10/19
体調:普通
点滴はなしでしたが、ホタテ水も水も自分で起き上がって飲みました。
ウエットフードとチュールは自分では食べないので口に入れて食べさせました。
トイレは自力で行って帰ってきました。
歩行練習もしました。
10/20
体調:元気
朝病院で点滴。
ごはんは自分からは食べなかったので口に入れて食べさせました。
歩行練習も実施。
トイレも自力で行かれていました。
10/21
体調:元気
ごはんは相変わらず自分からは食べなかったので口に入れて食べさせました。
ちゃんと香箱座り(チキン座り)もできていますね。
歩行練習も実施。
自動給水器の前に誘導すると自分で座ってそこから水を飲むほど元気でした。
トイレも自力で行かれていました。
うんちが数日出ていなかったでヨーグルトを食べさせました。
10/22
体調:悪
朝病院に点滴しにいくと、いつものようには診察台に座ることができず横座り状態でした。
いつも嫌がる検温もおとなしく、点滴もおとなしく受けていました。
体温も少々下がっており、外気も寒いせいかと思いましたがなるべく温めるようにしました。
病院で先生にお腹をもんでもらったせいか家に戻る途中の車の中でうんちをしました。
帰宅後ごはんを食べさせ、寝かせておいたところしばらくすると下痢をしていました。
体を洗いよく乾かして温めましたが、その日はイマイチ歩きもよくなく体調が悪そうでした。
10/23
体調:悪 体温が急激に低下
朝から調子が良くなさそうで、水を目の前に持って行っても無反応でした。
それでも朝一はやや反応してムッとした顔した写真がこれです。
病院で点滴を受けて帰ってきた後に水とごはんをあげ、お昼頃水を口にストローで入れると飲み込みませんでした。
息も荒く、横になっていても目もあいた状態でした。
瞬きはしていましたが、話しかけても触っても反応がうすくたまに急に手をバタバタさせました。
飲み込めない状態で何かをあげると危険だと思い、その日は無理にごはんを食べさせたり水を飲ませたりするのはやめました。
明らかにこれまでとは様子が違うため、とても危ない状態であるように素人ながらも思いました。
それでも何もしないではいられないので、ずっとそばにいて体をさすったり光線をかけたりしました。
10/24
早朝:虹の橋を渡る🌈
早朝5時頃けいれんを起こし、嘔吐し急に動かなくなりました。
瞳孔も開き、呼吸もしなくなっていました。
ウエスティが家に来てちょうど1年経った日でした。
固まっても意外としっぽはふわふわしたままで、毛並みもおばあちゃんにしてはきれいでした。
数時間たっても体は温かく、眠っているようでした。
猫の急性腎盂腎炎闘病生活を振り返って
猫が腎臓に不安を覚えたのが2019年ころ。
まだ腎盂炎とまでの診断には至っていなかったものの心配なので療養食に変えましたが、その頃は特に体調に大きな問題はなく経過観察をしていました。
2020年は吐くことが多くなりブラッシングの回数を増やしたりするくらいで年末までは特に病院に頻繁に行くほどでもありませんでした。
年末に一時的に体調が悪化して病院に連れて行ったもののその後は回復して普段通りの生活をしていました。
便秘騒動はありましたが、亡くなる1か月前の9月まで高いところをジャンプしたりキャットランドを駆け上がったりしていました。
容態が急変してごはんを食べなくなったのは10月頭。
「急性腎盂炎というのは波があるからね」とかかりつけの先生には言われ、絶対に回復することを強く信じてごはんを無理やりでも食べさせたりしてきました。
あの時もっとこうしてあげていればよかったのか・・・
死期がわかっていたなら食べられるときに体に悪くても好きな食べ物をもっとあげたらよかった・・・
など考えてしまうこともあります。
逆に言えば、いろいろ制限したり観察したりしてきたからこそここまで生きられたとも言えなくはないですし、その辺はなんとも言えない部分。
旅立つ前日は息が荒くてとてもかわいそうでたまりませんでした。
何をしてでも1日でも長く生きてほしいと強く思ってはいたものの、こんなに苦しい状態が何日も続くのは本当にかわいそうでならないと思っていたので、
旅立ったときはとても悲しかったのと同時に愛猫が苦しみから解放されたのであればよかったとも思いました。
わが家の猫は親ばかながら賢くてプライドが高かったので、飼い主側のことも気遣って身を引いてくれたのではないかなと思います。
自分から甘えてくることはめったになく、構いすぎると猫パンチをお見舞いされたりすることもありましたが、たまーにすりすりしてくるのがたまらなく可愛いい猫でした。
こちらの愛情が通じてか、たまには触ることを許してくれました。
犬のようにべったり一緒にいるわけではありませんでしたが、17年という長い年月をともにしたのでしばらくは悲しみに浸ってしまいそうですが、
ずっと癒してくれたりなんだかんが飼い主思いなところに感謝しかありません。
病気を患ったからと言ってあきらめたり、前はこんなことができたのにと嘆くのではなく、大好きなペットに寄り添って最期まで一緒に頑張ってあげることが大事だと思ったので、涙ながらに事実を記しました。